ことわざで
「言わぬが花」
という言葉があるように、
日本では
「言わなくても分かるだろう」
とか
「相手をおもんばかる」
など
言葉にするより
『察する』
ことが美徳というような
風潮があったように思います。
それが良いとは思いませんが、
最近は、
やや、個人の意見を
正論として押しつけるということが
増えているように感じます。
例えば
芸能人が不倫をしたと報道されると
本来は当事者間の問題であり、
非難できるのは、
不倫をされた当事者なのではないかと思うのですが、
ネット上でものすごい数のコメントが…
しかも、
その不倫をした人に対しての非難だけにとどまらず、
書かれているコメントに対して
「自分は正しい、相手は間違っている」
と
コメントしているものも目に付きます。
○○知恵袋のような
個人が質問投げかけ
誰でも回答できるような掲示板でも
胸が痛くなるような言葉遣いで
質問者さんや先にコメントされている方を攻撃し、
自分の意見が正しくて、
他の人は、あるいはある特定の人は間違えている
という内容を書き込む人もいます。
もちろん全部が全部そうではないです。
ちゃんと質問に対して
自分の意見を述べている方も
たくさんいらっしゃいます。
ここで私が言いたいことは、
『正しさ』は、
時代や、地域、文化などによって変わるものであり
決して、不変的なものではないのです。
これが正しい
これは悪だと
言っていても
時代や地域が変われば
それも変わるかもしれないのです。
日本ではあたり前とされている
親が小学生くらいの子どもと
一緒にお風呂に入ること
刺身を食べること
靴を脱いで家に入ること
などなどが
他の国では
あり得ない
考えられない
非常識な考え
だったりするのです。
日本の中に話を移して考えても、
むかしは体力作りのためにウサギ跳びをしたり
運動中の水分を禁止したり
赤ちゃんが泣いても抱き癖が付くので
抱っこしないようにする
など
これらは正しいとされていましたが、
今ではどうでしょうか。
正しいとは言えなかったり、
今となっては危険行為とされるものも
あったりします。
私は、
誰かに、何かに対して
「それは間違っている」
という前に
一度立ち止まって考えて欲しいなと
思うのです。
「私はこう思う
それをどう受取るのかは
あなた次第」
こんな風に
自分の意見を押しつけるのではなく
伝える
意見が違っても
「あぁ、そんあ考えもあるのね」
と
お互いがお互いを尊重しあえる交流が
ネットでも実社会でも
もっともっと増えると良いなぁと思います。