子どもがゲームばかりして宿題をしない。
何度声をかけても、言うことを聞かない。
そんなとき、思わず
「勉強しないなら、ゲームをしたらダメ」
「ゲームをしたいなら、先に勉強しなさい」
このような言い方をすることは
ありませんか?
このように、
条件をつけて何かをやらせようとすることは
日常の中でよくあることだと思います。
でも、これが愛情に関しての場合は
注意が必要です。
「おとなしくしていられたら良い子」
「成績が良ければ子どもの存在を認める」
「親の言うことを聞くから可愛がる」
これは、全て条件付きの愛です。
このような、条件付きで愛される
『よい子なら愛してあげる』
と言われて(感じて)育った子は、
親の期待に添うことに一生懸命になり、
自分の本心を出す事ができなくなります。
『良い子』であることは
親に愛してもらうための手段であり、
本当の自分を押し殺している状態だからです。
その状態が続くと、
周りからどのように評価されるか
常に気にしたり、
常に周りに合わせようとします。
嫌われたくないし、自分に自信が持てないからです。
子どもが生まれたときは
「無事に生まれてくれて良かった」
「子どもの顔を見ているだけで
嬉しい気持ちになる」
「お世話は大変だけれど幸せ」
そのような気持ちを感じていた
人も多いはず。
これは、子どもの存在自体を肯定しています。
それが、いつからか
子どもに期待をかけ、
その期待に答えてくれたら安心
期待に応えてくれなかったら
「なんでそんなことくらいできないの?」
「できない○○(子ども)が悪い」
と、子ども自体を否定する。
そんな風になったりします。
明石家さんまさんじゃないけれど、
「生きているだけで丸儲け」
究極は、子どもが健康に生きていてくれたら
親として幸せなのではないでしょうか。
そこから子どもに求めるものは、
人それぞれ違うと思いますが、
私が考える子育てのゴールは
『子どもが大人になったときに
自律的に生きていくこと』
です。
子どもが自分で考え、自分の責任において
自分の人生を生きていく。
親が望むからとか
人から良くみられたいから
とかではなく、
ただただ、自分の望みに
素直に向き合っていって
ほしいと思います。
そのためには、
子どもが子ども時代を過ごしていくときの
親の接し方がとても重要になります。
例えば、子どもが親の提案を却下しても、
それがちょっと失敗するかもしれないと
思っても、
チャレンジを認めること。
※ただ、いい加減な提案は
きちんと話し合い、
子どもにしっかり考えさせる
防波堤の役割は必要です。
そして、失敗したときには、
その失敗を否定するのではなく、
経験の一つとして捉えること。
そして、親としては
少し寂しいかも知れませんが、
子どもが自立したいと言ったら
笑顔で送り出すこと。
親はお金も時間もかけて
子どもを育ててきたけれど、
その子どもの人生は
子どものものだから、
子どもの意思、決断を尊重して
何かあったときには
子どもを否定するのではなく受け止める。
そのような関わり方が、
子どもの生きる力を育てていくと思うのです。